2004年6月 9日
もうだいぶ記憶が薄れてきているけど・・・・。
続きを書こうと思います。
仕事の合間に書きますんで、はたしていつ全て公開されるんだろう(笑)
色あせた西武の看板に迎えられて、新幹線は豊橋駅にすべりこんだ。
そういえば、地方都市ではよく色あせた西武の看板見かけるようなぁ、あれ退色しやすいのかねぇ、なんて思いつつ、駅前に降り立つ。
あ、西武閉店してたのか、そりゃ色褪せてるか・・・と一人納得する。
豊橋は愛知県東部の都市で、人口36万人。
名古屋との往来は活発で、名鉄特急とJR新快速が熾烈な競争を繰り広げている。
そんな豊橋市には、市内電車がある。
民営の「豊橋鉄道」が運営する路面電車である。
ここんとこ市内電車(こちら参照)のある街を廻り続けていて、そういや豊橋のには乗ったことなかったっけ、と途中下車したのでありました。
全部乗っても5kmちょいだから、乗っておこう・・・と一日乗車券を購入。
電停でしばし待つと、派手な広告電車がやってきた。
かつて都電荒川線で走っていた電車のお古である
まずは、運動公園行に乗車する。
豊橋の路面電車は、いまのところ日本で最後に新規開業した区間を持つのだ。
それが、本線からたった一駅区間0.7kmに過ぎないのだが、各地の路面電車の廃止が一巡し終わった1982年の出来事であることは多いに評価していいと思う。
駅を出た路面電車はしばし駅前通りを通ったのちに、国道1号線にでる。
天下の国道1号線の真ん中を悠然と路面電車が走っているということは、知らない人にとってみれば、びっくりな事実だろう。
国道1号線を抜け、片側一車線の細い道路へと入りしばらくゴロゴロと走る。
国道までの区間はセンターポールという道路の中央に架線柱が立っていて今風に変わっていたが、このあたりからは昔ながらの脇の電信柱からワイヤーで電線をつる形式になっている。
石畳の区間もアスファルトに直接線路がある区間もあって、がぜん面白いし、渋い。
安全地帯のない、どこが電停なの?というところもある。
昔の秋田市電ってこんな感じだったんだろうなぁ、と思う。
ゴロゴロと細い道路を走り続けて、もうすぐ終点、というところの井原という電停から分岐して、運動公園線に入る。
なにせ、あまり広くない道路同士の交差点なのでかなりの急カーブである。
運動公園の電停のあいまいに終わる終点を見届けて、井原までまた同じ電車で戻ろうと乗り込むと、先程来、同じ電車に乗っていた人も同じく乗り込んでいる。
こうなると、このあとの行程も一緒であると思われる。
井原から本線に乗り換えて、本来の終点、赤岩口へという行程だ。
しかし、そのもう一人は、同じことをするやつがもう一人いてやだなぁと思ったか、はたまた予て調べてあったダイヤを知っていたのか、井原で下車すると赤岩口方面へと歩いていった。
赤岩口までは電停1区間分だから、せいぜい1kmくらいのものであろう。
確かに歩けば辿り着くくらいの時間が経ってから、赤岩口行きの電車がやってきた。
終点の赤岩口は車庫が併設されている。
路面電車の車庫はどこを見ても味わい深い。
子供の頃、地元の今は秋田中央郵便局になってしまった、秋田市交通局の保戸野にあった車庫・・。
あれは、秋田市電の車庫であったところだ。
生まれる前になくなってしまった秋田市電だったけれども、かすかな記憶の中にある保戸野の車庫もなかなか味わい深かったと思う。
結局、先程の人と合流してしまい、むこうは気分を害したかもしれないが、こちらは構わずに同じ電車で豊橋駅方面へと戻る。
先程とは違ってかなり年代物車両である。
細かい部分の造作が渋くかつ重厚であった。
豊橋公会堂の建物が渋くて近くで見てみたかったのと、近くの公園が旧陸軍の跡地か何かで、衛兵の詰め所と門がそのまま残っているとのことで、それを見物してみる。
市役所前で下車。
声を交わすことも無かった先程の人ともお別れである。
願わくは、次の電車では会わないことを。
しばし見物したのち、再び豊橋駅へと戻ってきた。
ここから再び、JRの無い旅が始まる。
Posted by waka at 2004年6月 9日 20:33
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