2012年3月11日、陸前高田。
今日は9月11日で、世界的には同時多発テロの911の日ってことだろうけど、国内的にはあの震災から1年半ってことになる。
で、タイトルの通り、2012年の3月11日のオハナシ。
震災から1年目の311の日のこと。
その日は、秋田市にいて、慰霊式典の天皇陛下のお言葉なんかをテレビで視ていたわけだけど、やはりちょっと気になって、三陸まで行こうと行ったわけ。
なんていうんだろう?
やはり当事者じゃないし、その日は祈りの日というか、あまり部外者がウロウロするのもどうなんだろうね、という思いと、やはり1年経ったその日に三陸へ行きたいという思いで葛藤があったんだよね。
んで、釜石に寄ってから、大船渡でボランティアの時にお世話になった人たちや、ボランティア仲間とちょっとだけ会って、やはり震災後最初に入った街であり、震災から49日のやはり祈りの日であった時もそこにいて活動をしていた陸前高田も寄らないわけにはいけない、と。
せめて通り過ぎるだけでもいいから寄っていきたいな、と大船渡から陸前高田を通って秋田市に戻ることに。
震災後通いなれた道だけど、ここまで暗くなってからは通ったことの無かった国道45号線。ようやく陸前高田市に入った頃には雪が降り出してた。
そう、あの大震災の日と同じなんだよね。あの日も夜には雪が降ってきたんじゃないかな。
米崎の方から高田松原のあったあたりの海沿いのあたりを走っていて、本当に暗いということに気付いた。
もちろん、震災直後と違って、山の方を視るとポツポツと明かりが見える。
たまにすれ違うクルマ、遠くを走るクルマ、それぞれのヘッドライトにテールライトも見える。
けど、陸前高田の市街地は本当に真っ暗。漆黒の闇。
今、自分はこうやって温かい車内にいて、前を照らすライトもあるけれど、横殴りに降り続ける雪で視界を遮られつつ、本当の暗闇の中を運転する恐怖。
本当に静かで、人の気配もなく、真っ暗で。
でも、あの日、あの震災の3月11日、この場所で助けを求めていた人たちは、この暗闇と雪と寒さの中、どれだけ恐ろしかったことか。
自分は温かい車内だけど、その時、ここにいた人たちは、濡れて凍えていたはずなわけで、どんなに心細く絶望的な夜を迎えたのだろう、と。
酔仙のあった横を通って、竹駒の方へ。
山を登れば明かりがあって、家々があって、人の気配を感じられて。
こんなとこまでコンビニが復活してるんだ...と嬉しくなってコンビニ寄って、ようやく一息ついて。
そのほんの僅かばかりでも「理解できた」というと、怒られそうだけど、1年経った3月11日にクルマという心強い鎧があったけれど、まだまだ人の営みが感じられない本当の暗闇の中の陸前高田市街地で、降りしきる雪の中に身を置くことで、分かったことがあった。ってのを思い出した、あの大震災から1年半の日というオハナシ。
Posted by waka at 2012年9月11日 13:39
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こんにちは。こちらではお久しぶりです。
「当事者じゃ無いのにウロウロして良いかどうか」って、わたしもやっぱり昨年は思っていました。
ボランティアに行くときも、結構悩んだし。半分は「現地をみておきたい」っていう想いでもあったし。
wakaさん、やっぱり大船渡でも活動されたんですね。Facebookでさんさんの会の代表の方とお友達登録されていますが、さんさんの会でも活動されたんですか?
どもども。
なんというか距離感が難しい…ってすごく思います。
実際、物見遊山的な気持ちを否定しきれない部分もあるわけで;;;
あ、さんさんの会では活動してないですー。