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2003年8月 4日

自分形成

自分の生まれてから過ごしてきた日々を考えるに、反省することも多々あるわけで。
ああしておけばよかった、あれやっておけばよかったと思う今日この頃であります。
そのうち、子供が出来て育てる時に、子供には同じ過ちを送って欲しくないと思い、それをメモしておきましょう。という企画(?)。

ガンダム話にのれない悲しい自分がここにいます。
なぜ、子供の頃、ガンダムを見なかったのか。
世代的なものか。否。
ではどうしてなんだろう。ちょっと考えてみた。

というのは、やはり同年代同性別の人と会話するに、ほとんどみんな見ているわけですよ。
話が合わせられないというのは、滅多にないつもりの自分ですが、このへんはとにかくダメ。
思えば、戦隊ものもほとんど見ておりません。
「ゴレンジャー」「シャア専用」「君は生き延びることができるか?」
単語として知識として持っているこの言葉たちも実感や実体験を伴いません。
二次的情報として受け取っただけなのです。(パロディものとかでね)
これ、やはり、飲みの席とかで盛り上がるものですから、自分の子供が出来たとして、そういうカルチャーの洗礼はバリバリ受けさせねばと思います。

振り返ってみましょう。
戦隊ものはなぜ見なかったのか?
さらにガンダムはなぜみなかったのか?
子供っぽいと思って手が出なかったのか、はたまた違う興味があったのか・・・
ようするに嫌に大人びたマセガキだったのかもしれませぬ。
断片的な記憶を紡いでみましょう。

幼稚園の頃とかはほとんど覚えていません。
チャンネル選択権はある程度自分にありました。親が片親で働いてたからね。
外を自転車で走り回る子供だったので、テレビを付けても6時のニュースか、「630こちら情報部(うろ覚え)」しか見てなかったのかもなー。
小学校に入って自転車の補助輪がなくなった頃には、町内だけねの学校の約束を無視して、学区全体を巡り、学区内だけねの約束の頃には隣駅のあたりまで行ってましたからねー。(7kmくらいある)

ドラえもんは見てました。のび太の恐竜を見ましたから。映画館で。
藤子不二雄つながりで、その後、マンガ教室的な本にも手を出したはずです。
そして、ノートにマンガを書くようになったわけですが、その過程で「まんが道」と出会っております。綺麗に保存してあったら高値売却可のFFランドで「まんが道」だけ買ってましたから。
このマンガで作り手という立場を意識し始めたのかもしれません。作り手としてエンターテインメントを見ていたんでしょうか?
漫画というものの裏側にいる存在を気にしていた気がします。
他に「こち亀」や「奇面組」、「Dr.スランプ」といった漫画も好みましたが、楽屋オチ的な編集の人が登場するという共通点があったりしますね。
なんなんでしょう。
いずれ、ここで子供が憧れるであろうヒーローは特撮キャラクターではなく、「安孫子素雄」その人になりました。

おそらく、この頃にテレビにしても撮り方といったものも気にし始めたと思います。
しょぼい特撮というと語弊がありますが、戦隊ものは早々に脱落するわけですね。でもガンダムに行かなかったのはなぜなんでしょう。

この頃、マンガ日本の歴史に出会います。
1巻と最終巻だけ買いました(笑)。
明治維新から太平洋戦争のあたりが大好きで、はやくまた日本も海外に攻めていけばいいのに・・・と思う、不穏な小学生のできあがりです。
とはいえ、戦争の悲惨さも知りました。原爆や空襲の話を活字で読みあさりました。(はだしのゲンはノーチェックだけど)
宇宙で戦争。怪獣と戦争という設定とはここで決定的に別れてしまったのではないかと推察されます。

みんなガンダムにはいつ出会うのでしょうか?
小学校低学年?中学年?高学年?はたまた中学生?
低学年の頃にはジャンプみてましたし、そこにはロボットものなかったですから、ロボットもの自体に興味がわかなかったのかもしれません。コロコロでも読めばよかったのでしょうか?
はたまた、乗り物全般、もう好きでしたから、リアルのものをおっかけて過ぎたのでしょうか。
(飛行機とか船とかも。。。太平戦争の頃の戦艦をプラモで作ってたよーな・・・)
ロボットなんてありえねーし、つまーんなーーいっとでも思っていたのでしょう。

本は好きでした。
宮脇俊三の本には小学生の頃に出会っていましたから、渋い選択です。
自転車であちこち行くことから、少し発展してバスにもよくふらっと乗って、用事は無いのに、終点まで行って折り返していました。
旅行に憧れ、旅したい気持ちの現れでしょう。
宮脇先生の国鉄全線乗車ならぬ、秋田市営バス全路線乗車を意識し始めます。
最終的に8割くらい乗ったかと・・・(笑)

次第に一人で電車で二駅、三駅、さらに遠くへと乗って旅するようになります。(おばあちゃんがお小遣い内緒でくれたからだろうなー)
秋田あたりですから、隣の駅までいけば、充分旅情たっぷりです。
もちろん、友達の家に遊びに行ったり、駄菓子屋でたべったりしてましたんで、少なくても、5時台に家におりませんで、単純に戦隊物もロボット物もここまで見てなかったんでしょうね。

宮脇本だけでなく、読むものに飢えていたので、母親の本棚をあさって、いろんな本を読みましたが、ガツーンと来たヒーローがいました。
その名は「堤義明」
西武鉄道グループの総帥です。かっこいい!!俺もああやって大勢の人を動かしてビジネスしたい!!
ヘリに乗って視察して回りたいッ!!!
なんという渋さでしょう。困った小学生です。
ヤマトでもデスラー総統好きだったんですが、堤義明に同じものでも見たのでしょうか?

堤義明に影響されたのでしょう。小学校の4年生くらいからは、架空の会社「幌急グループ」(札幌急行電鉄の意。福岡に西鉄があるんだから札幌にも私鉄グループあっていいじゃんとの発想から)のロゴやらグループ会社の事業内容なんかを落書きしていたようです。
地図帳には架空の幌急の路線図やリゾート地が書き込まれていきました。
立派な病気であり、妄想であります。

余談ですが、6年生くらいになると幌急はむりだべと気づき、京成を買収したという前提で、京高グループ(東京高速鉄道の意)に変わったりしました(笑)。いや、無理なんだけど。
この頃考えたグループ会社の流通部門のロゴで好きなのがひとつあって、いつかなにかで使いたいと考えています(笑)、あ、今度データにおこしとこっと。

これまた余談ですが、ガンダムには興味を示さなかった自分ですが、パトレイバーは好きでした。
ま。もっと後の時代の話ですが。
これって、篠原重工とシャフトエンタープライゼスという会社組織が生み出したロボットということで興味のアンテナにひっかかったのでしょう。
篠原のおやじさんの戦後GHQの機材の修理から始めて一代で篠原重工という大企業に育てたという設定が大ヒットしたんでしょう。自分的に。
ロボットの存在が産業として存在していたので、これまでのロボットもの否定にもかかわらずはまりましたねー。

同じく、うちの親の趣味が本などから決定的に影響したのは、建物を建築として見、そして建築家から見ること。
美術館に連れて行かれても絵ではなく建築を重点的に見てしまう自分がここで形成されました。
ノートや教科書の隅には、脳内妄想企業グループのありとあらゆる建物が描かれていきました。
4年生くらいからパソコンでもいろいろ絵を描くようになっていました。(カシオの楽書きという機種なもんで)
おおーっ、早いなぁ、でもあんまり成長してねぇな俺(笑)。
ゲームから入ればよかったのにねー。古いゲームも話が合わないもんなー。
いや、そのあと、MSXに行ったんだけどね。ファミコンはだいぶ経ってから買ったもんで。
MSXのゲームならやったんだけど、ファミコンってただゲームするだけじゃーん。なにもできないじゃーんってバカにしてたから・・・ああ、マイナーに流れずメジャーに載ればよかった。

そしていい加減中学生にもなりますと、音楽に興味が出てきます。
そしてヒーローは「エース清水」であったり「小室哲哉」になります。
ここでTM Networkが主題歌を歌ったガンダムシリーズがあったと思うんですが、そこでもまたガンダムそれ自体には出会いませんでした。
ミュージシャンを夢見ていた当時のワカマツ少年には、タイアップは重要だよねーとしか映っていなかったのです。
新聞配達で貯めた自分の自由になる「ある程度のお金」をシンセにつぎ込むか、山水のオーディオにつぎ込むか悩んでいたのもこの頃です。

これまた余談ですが、うちの親は初任給で買ったオーディオは山水だったそうです。
そして、ソニー大好き、自分が出演していたからでしょうフジテレビ大好き。
いやはや親の影響とは怖すぎです。

いろいろと紐解いてみると、親(もしくは親の本棚)の影響、まんが道の影響がでかそうですね。
子供の頃の自転車での放浪癖は方向感覚をつけてくれたメリットもありますが、いまだに車であちこちホイホイ行ってしまう原点です。恐ろしい。

こうやって考えると、子供に読ませる物ふれるものに気を付ければ、およそ想像通りの大人に育つのかもしれませんね。

 
Posted by waka at 2003年8月 4日 23:04
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コメント

また、人の琴線に触れるネタを……(荘)

「まんが道」に関しては個人的に深い思い入れがあります。
小学生のころだったと思うんですけど、分厚い愛蔵版がでたじゃないですか(いま調べたら1986年刊行)。

小学生のころ、お年玉でコレをかって、ホント、毎日読んでいたような気がします(同判型で出ていた「少年時代」にもハマった)。

将来的にどういう人生を生きていくか、その中で周りの人間とどのような人間関係を築いていくか。
その点に関して、この作品の影響はデカいです。

オレがZIAS CHATにハマった理由は、あそこに「トキワ荘」を感じたからに他ならないですね。それはいまでもそう思っています。

あそこが無かったら、たぶん、普通に大学卒業してサラリーマンやってたんじゃないですかね。

会社作ったとき、ジアスの屋号をいただきたいとお願いしたのも、そのことを強く念頭に置いていたからです。対外的には「良いのが思い浮かばなくてー」とか言ってましたけど、それはウソです。独立を意識したときから、ジアス○○○○って社名にしたいと思ってました。

だから、ZIAS CHATが崩壊していくのを見るのは、心底辛かったし、とても冷静ではいられませんでしたね(正直、あの頃、n.wakaさんはなんでこんなに冷静なのかと、怒りすら覚えていたほど)。

※ちなみに2chとBBSは復活しないんですか?(笑)

ここはオレのトキワ荘です。
その一員として、恥ずかしくないような活動をしていきたいと思って、この2年やってきました。


n.wakaさんも、のだっちも、ゆずこまさんも、スーさんも、i井さんも、自分にとっては、本当にかけがえのない、大事な人たちです。みんなで成功して幸せになりましょう。本当に。

まぁ、なんつーんすかね、気味の悪い隣人ですが、今後ともよろしくお願いします、ということで……(笑)。

どうぞ、よしなに。

http://www.ziasworks.com/_TATSUYA/1981.gif

こないだ親が引っ越す際に置いていった小学生時代のファイルから、↑のようなモノが出てきたので張っておきます。

通してみると、小学校低学年時の落書きの9割がガンダムか電車なんですね。これには驚きました。

残り1割が、理解しがたいものなのがアレなんですが……。あさがお人間ってなんだよ!(笑)

いいねぇ、あさがお人間。
こういうのはやっぱとっておくもんですよ。なんにせよ(w

>※ちなみに2chとBBSは復活しないんですか?(笑)
うーん、やろうと思ってたんだけど、なかなか(笑)

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